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公然の秘密

井上貫道老師の提唱をまとめた「げんにーび 正法眼蔵現成公案提唱」に後書き「公然の秘密」があります。

 

公然の秘密

” 詩人ゲーテの訳詞のなかに次の一句を見付けた。すなわち「公然の秘密」これこそ「現成公案」の訳にピッタリと感じたものだ。誰もがあまりにも日常生活、あたりまえとして気にもかけてない、相手にもしていない、あえて取り挙げてみようとさえしない人の様子こそ公然といえよう。その中に知られざるすばらしいあり方というものがあるのです。

 決して他人のことではなく、各自自分のこの身心一つで充分に勉強が出来、修行が出来、楽しさを味わえるように出来ているのです。”

 

日常の中にある「事実」「真実」がわからない、見えない。考え中心の生活があたりまえになって、わからなくしている、見えなくしている。

 

(でも、自分の考えを外すってどうやれば良いかわからない… 自分が正しいと思う坐禅は…)

「やろうとすることじゃないのです、やれてることに学ぶんです。」(貫道老師)

そうか、やれてるのに気が付かないから納得がいかないだけなのか…)

 

と、提唱を何回か聞いていると見当がつきますし、理解するってことじゃない、体験することだってこともわかってきます。

 

では、「やれてることに学ぶってどうすればよいのか?というと正しい坐禅です。自己流、我流の坐禅じゃなく、正式、正伝の坐禅は間違いなく万人を救います。なぜ万人かって?誰しもがそうなっているからです。限られた人がやれてるんじゃなく、現にいま本当にみんなやれてるんです。