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あきらめて坐る

坐禅を始めたころ、一番やっていたことが「思いとか思考が出てこないよう」やろうとしていた。でも、出てくる。出てこないように見張ってるが、出てくる。そのころは、出てきたものが、自然とすぐ消えるということもわからなかった。消えずにいつまでもあるような気がしていた。何をどうやったらいいのか、さっぱりわからなかった。

 

そのうち、「無為真相」を知って「坐れているかの確認」で確認するようになってからは、あっいけないまたやってる…、繰り返し繰り返し、確認しながら坐り続けたが、どこか見張ってる感じが完全には無くならなかった。一切やらないなんて、いったいどうやったらいいんだ?(ってまたやろうとしてる…、なんなんだこのグルグル感は!)

 

ハァ、うまくいかないなぁと思ったけど(なんでうまくやろうとしていたのか!)、やめたいとか、やめようとかは思わなかった。というかやめられなかった。

 

で、もうどうしようもなくなって、あきらめて…それでも坐っていたら…坐れてた。なんてことはなかった。

 

 

-「坐禅のやり方」(井上貫道老師 小冊子から引用)

” もう少し具体的に話をすれば、坐っていて色々なことが出てきたときに、人間と言うものは、気に掛かることが結構あるものです。ですから通常は、その気になっていることを解決しようと思って、自分の頭の中で色々なことを始めます。これを、とにかくやらないことですね。だからどのようなことが出てきても、思い出したものや考えたことで気にかかることがあっても、それを相手にどうこうする、手を付けて過ごすということをしない。また、その出てくるものに対して、出ないようにするようなことも一切しません。こちらから造作をして、作り変えるようなことは一切しないで坐るのですね。それが坐禅をする時の工夫と言われる修行のあり方です。”