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事実の体験

事実を直に体験したのは、はじめての攝心二日目の午後。あのお寺はカラスの鳴き声がよくしてた。突然だった。カラスの「カア」が「カア」だけだった。えっ、これか!音だけではない、見るものもすべてハッキリする。

 

無為真相」の"「カアカア」とあるとかならず「カアカア」とあることです。"をまさにこの時、初めて体験した。紙一重の差だった。知識としては理解していたが、本当に体験すると大きな驚きがあった。正直な話、この体験をする前の自分は精神的な病にかかっていたんじゃないかと思えるほどだった。驚きと嬉しさがあった。攝心(連続長時間の坐禅)では意が止むという体験がおこりやすいのではないかと思う。

 

ここからほんとうの修行が始まった。

 

-「坐禅のやり方」(井上貫道老師 小冊子から引用) ” どうして放っておくべきか、その大きな理由は、ものの真相、本当のあり様がどうなっているかを見極めるため。触れることに対して、人間の考え、見解、そういうものを少しでも差し挟んだら、それは事実が歪められるということが、まず第一でしょう。だから人間の見解、考え方、そういうもので取り扱うことを一切いたしません。そうしているとものの真相、事実が、そのまま伝わるようになります。それをとにかくやっていただきたい。”