#001 いつ、どこで、だれが、何を、どのように、どれくらい
<黒板>
いつ → いま
どこで → ここで
だれが → 私が
何を → それを
どのように → そのままにしておけるか?
どれくらい
【質問者】
「いま、ここで、私が、それを…」ってなってますけど、それも「パン!」(手をたたく)この中に入っていますか?
【老師】
うん、全部入っていますね。
何を、どのように、みな全部入っていますね。
だから見たらいいじゃんね。
こうやった時に「パン!」(手をたたく)「いつ、どこで、だれが、何を、どのように、どれくらい」
こうやって見てみたら「パン!」(手をたたく)、よくわかるでしょ、自分のことだから。
パン!(手をたたく)「いつ、どこで、だれが、何を、どのように、どれくらい」
こんな簡単な道理なんですよ、ものとしては。
自分自身のあり様にふれてみれば、本当にこの身体(からだ)のあり様っていうものは、今の活動している様子以外の何ものもない。
もうそれだけです、徹底それだけです。
この身体は人のことは一切しない。
これを(水が入ったコップ)持ってってと誰かに言われて、こうやって持って行く様子を見ると、絶対、人のことをやっていませんよね。
自分が今こうやって、ただこうやっている様子があるだけだ。
それを、ここは(頭を指して)あの人が言ったものを私が代わりにやってる、そういう風に認識するのでしょう。
実物に触れて見てください。
自分の耳に聞こえたとおりに、この身体が本当に、それをきちっーと守ってやるだけでしょう。
(沈黙…)
みなさん、修行ってどんなことをすることだと思ってるんですかね。
坐禅でもそうだけど、形を守って過ごすのは一応外から見たら、修行しているって風に見えるじゃないですか。
だけども、形を守ってその時間を過ごすんだったら人形でもロボットでも十分だね。
ロボットの方がもっと耐久力がある。
愚痴も何も言わずに、何十年でもそのまま、こうやっているよ、飯も食べずに平気でいるかもしれない。
そんなことが何になるの?
解決になんかなるのかね?
質問も問題も何もないって生活をしてるっていうけど、そんなにすばらしい毎日の生活をしてるのかしら?(笑い)一切問題がないほど。
そんなことはないでしょ!
気になってることいっぱいあるでしょう?
なんで素直に話してみないのかね。