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霧の中を行けば覚えざるに衣しめる

 

悟りは浸透するか?というと浸透する。

ただし受け手しだい。

その時節にないなら言っても聞いてもかなわない。

その時節にあるなら黙っていても浸透する。

 

老師は「二年は聞いてほしい」とおっしゃる。

 

そして本当にあきらめて坐っていれば、やがてそれはある。

 

 

 

霧の中を行けば覚えざるに衣しめる

 

“ 一日示(じ)ニ云ク(いはく)、古人云く、「霧の中を行けば覚えざるに衣しめる。」ト。よき人に近ヅけば、覚エざるによき人となるなり。

 昔、倶胝(ぐてい)和尚に使へし(仕えし)一人の童子のごときは、いつ学し、いつ修したりとも見えず、覚エざれども、久参(久しく仏道に参学した人)に近づいし(近づきし)に悟道す。

 坐禅も自然に久シくせば、忽念(こつねん)として大事を発明して坐禅の正門なる事を知る時も有ルべし。”

 

- 正法眼蔵随聞記 ちくま文庫から