#013 考え方を離れてみる
【質問者】
具体的に何なんですか?いやその坐禅て…
【老師】
いやだから、考え方を離れてみると、考え方じゃない事実がいまあるじゃないですか。
それに一度も触れたことがないから、まず考え方をやめて、考え方じゃない事実にふれてごらん。
こうやって(坐を作ってみせる)、考え方をつけずにこうやっている。
【質問者】
テーマは、いまここに…。
【老師】
テーマ?テーマって何もないですよ、それだけですよ坐っている間。
どこかになにか向かうわけじゃない、今ほんとうに手を付けずに活動している様子そのものに用がある。
それがどういことが行われているか、考え方を離れない間は見たことがないんだよ。
言ってみれば考え方という色眼鏡をかけたもので見ている、そういう色でしかみえないんだよ。
だから考え方を止めると、素通しでものがどうなっているかっていうのが初めて見ることができる。
そうするとその違いが自分でよくわかる。
驚くはずです、見たことのない世界。
同じように生活してるんですよ、ほとんど。
もうひとつの生活なんかしないからね、同じように生活をしてるんだけど、考え方を付けるか付けないかで、全く違う。
人に対しても、好き嫌いをもたずにふれるのと、好き嫌いをもってふれるのでは、ぜんぜん違うでしょう。
好き嫌いを持ってみたら、嫌いな人なんか眺めませんよ、ふれてても。
それくらい拒絶反応をおこしてるじゃん。
だけども好き嫌いを抜きにして、こうやってふれると、そのままのものにふれる。
そうすると、私が思ってたのと違うってよくわかる。
こっちでそういものなしでふれると、向こうの人も変わる。
嫌な奴だなーと思って向かうと、必ず向こうでも感じるんですよね、私のことを嫌ってるなって。
【質問者】
坐禅の間にその体験はないですよね?坐禅でそういうことを考えるということですよね?
【老師】
だから、考えてるとそうなるじゃん。
考え方を離れて、こうやっていてみると、そういう真っさらな体験が坐禅のなかでれきるじゃない。
【質問者】
考えてないんじゃなくて、そういうこと(考えてないこと)を考えている…。
【老師】
それじゃ、やっぱりだめ。(笑い)それは考えよ。
だから考え方を出るってことを考えてるってのは、考え方の中だから、それは違う。
本当に考え方から離れるってことがあるじゃん。
【質問者】
う~ん、(笑い)勉強します。