#015 見返りを求めない
【質問者】
事実から受ける感動(かんどう)ってありますよね?
【老師】
私は貫道(かんどう)です。(一同笑い)なんかウケたでしょう?いま。
【質問者】
例えばすばらしいものを見たとか、とてもおししいレストランで食事したときとか、その受ける感動というのは好き嫌いとは別になるんですか?感動しないっていっても感動してしまってるんで、それは思量のうちに入るんですか?
【老師】
そのままでいいじゃない?
だってどうしないのに、そうやって体が感じるのでしょう?
自分の思いで作りあげたものじゃないのでしょう?
【質問者】
はぁ。よく一流にふれるっていうじゃないですか?一流のコックさんは一流の絵を見なさいとか。
その一流っていう判断も人がしたものなので、一概には言えないのでしょうけど、じゃ一流の概念はなんだろうみたいな?
【老師】
いや、やっぱり、つけるんだったら、ものの本質を本当に知ってる人でしょうね、その道、その道。
【質問者】
いま世の中の仕事と呼ばれるものが、ほとんど思量だと思うんですね。
私もこの値段でこういう風に作れば、この人が買うだろうっていう、ものすごい思量で作業をしてるんですよ。
【老師】
それは商売だからでしょう。
お金を儲けることが主眼だからです。
【質問者】
見返りを求めることが、いま生きることの糧になってしまっているのがほとんどなので…
【老師】
そうすると、収入があるから豊かな生活ができる、それで幸せだと一応、思ってるわけでしょう。
だけども、いい仕事をしたい人たちは見返りも考えないし、欲得も考えないし、思う存分自分の持てる力を発揮して仕事をしたい、ただそれだけじゃんね。
その時の大変さってあるじゃないですか?
釈迦が、なんであれだけの人物になったかって、本当に全部捨てた人だから、すごい。
地位も名誉も財産も何もかも捨てて、このことだけを本当に極めたいと思って過ごした人だから、こうなったんじゃない。
生半可じゃこんなにならないよ。
だって、誘惑がいっぱいあるでしょう。ねぇ。
あれだけの一国の王子として、小さい国ではあったけど、そのまま順調に育ったら国王ですからね。
何不自由ない生活ができるくらいの位置にいるじゃん。
だけど、そんなことに目もくれなかった人。
世の中に、これはっていうような仕事をする人は、ほとんど一度貧乏だよね。
うん、ほとんど貧乏だ。
金儲けなんか考えて、いい仕事ができるわけないじゃないですか、悪いけど。
そういうときに、どっち行くかだよ。
ひとりだったら、自分の判断だけですむけども、家族がいたり色んなものがあると、その人たちのことを思うと、ねぇ、泣く泣く生計を立てる方に行ったりするじゃないですか。
その時に協力者が「貧乏でもついていきます」っていうような人がいると、いいものができる。
そりゃ、そういう生活をしている人にふれた時にパートナーが、その人の生きざまを見て心を動かせるだけのものが、あるかないかじゃない?
この人のためなら、付いて行ってもいいって思わせる人がいたら、そりゃやっぱねぇ。
うらやましいでしょう?そういうことじゃない。
それじゃ、だれがそれを作るかっていったら、各自自分が生きていく生きざまで、そういうことが起こってくるだけじゃん。
だから離れていったら、それでいいじゃないですか。
どうしても一緒にいなきゃならんこともないでしょう。
そのかわり全部責任をおわなきゃなんないねぇ、いろんな意味でね。
大変だね、そういうことを考えてみるとね、まじめにやるって。
そこで、頑張り切った人は残りますね、見てて。
豆腐一丁つくってる店でも最後は頑張ったところが残るね。
対抗馬がなくなったときに残るから、生きてるからかもしれない(笑い)不思議だね。(笑い)
貴重価値ですね、あれね見てるとですね。