#017 くりかえし、くりかえし?
【質問者】
禅の場合、非常なシンプルな出発点というか、あたりまえのところにみんなを帰そう帰そうとしてるんですね?
【老師】
みんなシンプルじゃん。
【質問者】
それを繰り返し、繰り返し言ってる?
【老師】
……(そんなことはないでしょうという仕草)
だけど、繰り返し繰り返しってことばを否定はしないけどね、生きているってことはね、ようく見てみると、同じことなんかやったことないんだよ、一度もやったことがない。
だって、これからやること、だれが一度やったことやりますか?生きていくって、これからずっと生きていくとき、一度も体験したことないことしかやらないじゃないですか?生きていくってことは。
だけど繰り返し繰り返しって言うのはね、似たようなことをするからね。
また同じようなことだっていうふうに、一応、常識的に話してるんだけども、本当によく見てみると、そんなことではない。
もしこれが理解できたらですね、二度と同じことを人は繰り返さないで生きてるとしたら、前のものを集積したものをたくさん蓄えて、次の時に何をそれを利用しようとして集めるんだろう?
もう一回おなじことをするんだったら、あのてつを踏まないように、ここでこうしておけば良かったってことを、これで使うってことはあるかもしれない、だけども、同じ条件のことやらないんだからね。
そのいい例は眼(まなこ)ですよ。
ものを見るのに、何回いろんなものを見たか知らないけど、絶対前に見たもの使わない、見るときに。
いきなり今の様子だけで、生活しています。
あの時、ああいう風に見たけど、今度はこういう風に見なきゃって、そんなこと一度も使ったことがない、これで十分足りています、不思議だね。
私なんかでも勉強してきたことと、ぜんぜん人の事実ってものがこんなに違う。
納得しそうな話しなんだけど、実際の自分の生きてる様子に触れて見ると、一切そういうものを使わずに生きてる。
音を聞くんだって、この前ああやって聞いたから、今度はこうやって聞こうって構えてたって使えないんだよ、こうやった時に全然、使えないよ、出してきて聞くなんてことは無理だ。
このまえ失敗した聞き方があって、今度はちゃんと聞きますっていって、今から用意していてくださいよって、パン!(手をたたく)ぜんぜん使えないでしょう?でもちゃんと聞こえるんでしょう?
そんなうまくできてるじゃない、パン!パン!(手をたたく)何回、聞いたって。
前のもの何も使わないで、いま音がしてるだけでちゃんと聞こえるようにできてる。
こんな風にして修行ができるだろうか?って思うんだけど、こうやってるとこんなに楽になるじゃないですか?
そうでないと、あそこで失敗した、ここでああなったから、ああじゃないか、こうじゃないかって、いつも頭を巡らして、次の準備をするのでしょう?
ものすごい能力とエネルギーを費やして、その割に実際やったときに、なんにも用が立たなくて(笑い)、よくわかるじゃないですか?
人が来たら、接待するのにその人のそばにいさえすれば大丈夫です、(笑い)それ一番いい接待。
あ、お茶出さなきゃとか、座布団を出さなきゃとか、いろんな気を使うのはヘボ。
その人と一緒にそこでずーっと過ごしていたら、掃除しときゃなかとか、あそこもとか気になるとか、一切そんなこと、そっち目が向かないから来た人が、(笑い)大丈夫。
離れると暇のあいだ、その人はいろんなところを眺めてっていうようになる、(一同笑い)いやほんとですよ。
だって貴賓が来た時、どうやって接待してるって、ぴったり二十四時間っていっていいか、付き添うんでしょう?それ最高のもてなしでしょう、国賓なんか来た場合、ほっとかないよ一人で、一人でほっとくような待遇したら、もう駄目だ。
私達は檀家にお参りにいくけど、こんにちはーって行くと、あっ来たって、それ!っていって、いろんな準備をし始める。
で、私がだいたいお勤め終わって、すると後ろの方ごそごそって言うから、終わったから帰りますよって言うと、えっ!って、何をしてるんだろう、せっかく勤めに来たんだけど、ひとつも勤めに参加しない、それがなんかご供養のときの施主のすがたですね。
ご供養しに来たんだけど、こんなにまったく違うことをやっている、親のお年忌をしても。
お茶なんか、別に飲まなくたっていいよね、そう思いませんか?ピントがずれているんだよね…、やることがずれている…。
まぁそういことで時間になったから、あんまり話すと座れないから、あっ独参があるのか。(ニコっとする)