#021 線を引かなくても大丈夫
【質問者】
区別をつけるのが問題ですか?これは休みだ、これは仕事だ、これはプライベートの時間、区別をつけることによって、考えの世界に入ってしまう?
【老師】
あるでしょうね、それも。
【質問者】
一日の二十四時間は、それの瞬間はそれだけ。仕事のレッテルは貼る必要はないっていうことですか?
【老師】
そうでしょうね、全部、本当に自分の生き様だから、一日中。
レッテルを貼るということは、自分の生活の中で、これは大事、これはどうでもいいっていうふうな扱いを自分の生活なのにする。
だから、自分の生活を見てみると、あるときはちゃんと生きてるけど、あるときはものすごい滅茶苦茶に生きてるというふうな生き様になるじゃないですか?
それが自分で感じられると、この自分に(体を指しながら)いたたまれなくなる。
つまらないことをして、自分で自分をないがしろにしてしまうんでしょう?
そうでなく生活をしていると、どれもこれも自分の本当の生き様だから、そんないい加減には生きられない。
評価されるのは、そのときにやってることで全部評価する、それだけですからね。
他で評価することはないですからね。
だから、昨日までどんなにりっぱに生きてても、今やってるときに滅茶苦茶のことをしていたら、こいつ滅茶苦茶なやつだなって、すぐ評価される。
どんなに申し開きしたって、しょうがない、事実ここで滅茶苦茶なことをしているから、指摘されて逃げ場がない。
腹が立つんだね、そうやって言われると、昨日までちゃんとやっていたのに、今ちょっとの時間だけ、いいじゃない?これくらいのことって言いたいんだけども。
どこかの国会議員でも、ちょっとしたときに、つまらない発言して辞職するんだよね?
じゃ、分け隔てをしないからって、じゃ会社に行ってるときと自分のうちにいるときとは、分け隔てをつけなかったら、滅茶苦茶になるかっていうと、そんなことはないもんね?
ちゃんと、はっきりしてるもんね?会社に行って働いてるときと、うちに居るときとおんなじなんてことは全体にないもんね、線引かなくても大丈夫でしょう?
【質問者】
引かないほうがいい?
【老師】
うん。引かなくて十分。
でも、どっちの山が高いって言われたら、どっかに線を引かないとねぇ?しょうがいから、こうやって線を引いて、そっから上だけを測る、そうすると、こっちが高いとか、こっちが低いとか、一応そうやっているわけです、使い方はそうです。
そうでないと、お菓子を配るとき困るじゃない?
十個しか持って来なかった、三十人もいるって一個づつ分けたら、あたらないってあるじゃない?
そうしたら三十人に渡るように切るしかない。
いくらでも小さくできるから、千人集まっても分けられる。(一同笑い)