#028 直指人心 見性成仏
【老師】
”何が原因をしているか?こういう事実が人間自体にちゃんとしている事に人は気が付かない、知らないでいる。”
それが大きな原因じゃないですか?だからそういう意味において坐禅ていうのは本当に大切な行でしょう。
で、人の力借りなくていいから、いいでしょう?
いつでも自分と二十四時間、一緒に居るから、ここですぐ出来るでしょう。
どっかに行って坐禅をするのじゃなくて、時間を作ってというのじゃなくて、今こうやって、直ぐ触れられるって言うよりも、いきなりそうじゃないですか?
私達の修行は、いつもこの体のあるところでやりますから、体を探しに行く用がない。
時間だって、必ず今、生活をしているから、そこから外れた事がないから、時間が有るとか無いとか言わせないよ。
いつでも、本当にこのもの(頭から体に手をやり)の生き様だけじゃないですか?
完璧に条件は揃ってますよ。やる主体がいる、時間も場所も、みんな保証されている。
どうしなきゃ出来ないっていう、難しい事は一切ない。
カチッ(扇子で机をたたく)こうやって。
やれてる事に本当に親しく居さえすれば、みなわかるように出来ている。
こんな端直な教えなんですよ。
達磨大師が「直指人心 見性成仏(じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)」っていうような事を言っておられる。
直指人心ですよ、今みなさん方の生きている真っただ中に、いきなり、時間のズレもなく、場所のズレもなく、いきなり、自分自身の真相に、こうやって触れる。
そうすれば、ものの本質が必ずわかるとおっしゃっている。
よそに本質はないから、生きている実物は他にはないんだよ。
で、"これは自分ばかりではなしに全ての人に勧めている"ってあるように、できたらそうありたいねぇ。
それを勧める力になるのは自分で、なるほどとか、楽になったとか、救われたとかっていう、そういう体験があれば、おそらく人に勧めるでしょう。
あそこに行ったら病気が治ったっていうと、治った人は苦しんでる人がいると、私あそこに行って治ったんだけど、行ってみない?って勧めるじゃないですか?
あそこで買って食べたあれ美味しかったって、黙っていたいんだけど、なかなか黙ってられなくてポロっとどこかで言うじゃないですか?
黙っていようと思っても、黙っていられないくらい自分の中から喜びが出てくるでしょう?気づいた人は。
苦しんでいて、楽になった人はそうじゃないですか?
まぁ人に勧める事もそうだけど、各自自分の事だから本当にやって欲しいね。
世界に何億の人がいようが、自分を救うのは自分でやるしかないですよ。
お水一杯の味を味わうのに、何億の人がいても役に立たないんだよ、自分で飲むしかないんだよ。
それが一番早い。一番確かだ。
難しくないじゃない、グズグズしている用はない、やりゃいいじゃない。
どうしたら出来るっていうから、難しくなるんじゃない。(笑い)
どうしたら出来る?っていうから時間がかかるのでしょう、やりゃいいだけの事でしょう?
「いや、やるのには…」って、「そこに行くのには…」ってどこに行くんですか?他に行く場所ないじゃないですか?ここ以外のとこに何処に行くんですか?どこに行って何を求めるんですか?
問題が起こるんだって、ここでこうやって生活をしている時に、物に触れたり、眼に触れたり、味に触れたり、物にこうやって接した時にその触れた瞬間に、ここで自分の中で問題を起こすだけじゃないですか?他で問題を起こした事ないでしょう?
火花はここで散るんですよ。(笑い)
カチッ(扇子で机をたたく)
だから、本当に自分に親しく居ないと、この事は触れられない。
一緒に居るのに触れられない、自分と二十四時間、一緒に居るのに、触れられない理由はここにあるじゃないですか。
これほっといて、よそ見るんだもん、無理じゃん、それじゃ。
本を読むのを止めましたって。
道元禅師も若かりし頃、中国に渡って、盛んにそれまでは書籍を漁って読んでた、日本に居る時でも。
だけど、ある時から読むのを止めて坐り始めた。
こっちが実物だからね、やってくださいね。