まずは事実がわかって(解釈したり頭で理解することではない)坐れるようになることが大事です。私の場合、坐れるようになるために、やったことは次の三つです。
- 坐るときのあり方を理解する
- 独参する
- 連続長時間でおこなう
1.坐るときのあり方を理解する
形をつくるだけでは坐禅になりません。次を繰り返し読むことで、ある程度の見当はつくと思います。ここだけは頭で理解することを使います。
- 小冊子「坐禅のやり方」(井上貫道老師)の後半部分の「坐るときのあり方」(二頁半)を何回でも読んで坐る。
2.独参する
はじめは自分勝手な考え、解釈で坐ることが多いと思います。松本自證師、井上貫道老師に独参し、格好つけずに洗いざらい話し、坐れているか確認してください。軌道修正していただけます。ただし、やるのは自分です。坐禅中に何かしらの体験があって特別なものとして掴んでしまう間違いもなくなります。
3.連続長時間でおこなう
僅かな時間の積み重ねでよいので日々コツコツ坐ります。そして、ここぞと何もかも放り出して連続長時間の坐禅をおこないます。坐れていれば意が止み必然的に事実を生で体験することになります。人によっては、それまでの自分の日常との差に大変驚くかもしれません。坐禅は安楽の法門であることが体現できます。もともと生の事実とともにあるのですから、日常に戻っても事実のまま坐れるようになっています。
では連続長時間はどうすればよいのか?独参ができる摂心、連続禅会です。四十分の坐禅を一日九炷(ちゅう)以上、最低2日、できれば5日やるような会が良いです。家庭、仕事の都合がつくなら是非体験していただきたいです。
事実に親しく坐れるようになれば、本当におだやかに静かになり、これだけでも十分と思うかもしれませんが、その後もあきらめて坐っていれば本当の納得がいずれあると思います。何の期待もすることなく日々コツコツ、形を作っていてもいなくても事実とともに坐り続けることが大事です。