#047 やってみると、よく分かる
【老師】
やってみると、よく分かる。
自分の考え方を付けて、ものにふれてるのか、考え方を付けずに実物そのものに、こうやって居るのか、よく分かる。
そうすると、違いもはっきりしている。
一番、顕著なのは、腹が立つか、立たないかでやってみると、よく分かる。
実物そのものは、腹が立たないよ。
「なーんだ、皆つまらないやつだな」ってこうやって(会場を指さし)私が言ったって、酷(ひど)い人は笑ってるくらい腹が立たない。
「あの人、何言ってるかな?」と思うくらい、平気で居れるんでしょう。
だけど、これ一対一で「お前みたいな、つまらないやつ」って言われると、なぜかしらカーッとなって(笑い)。
よく見てみると、カーッとなるのには時間がかかる。
「あの人、私に何をあんなこと言ってるんだろう」という、一念が起きない限りはなんともない、そうでしょう?
付けるのは手間がかかるじゃないですか、付けずにいる方が楽じゃない?
楽で、しかも幸せに居れるんだよ、なんでそっち選ばないのかな?
わざわざ複雑なことをやって、苦しむような方向に行くんだろうね?
これは、自分のこと知らないからでしょう。
こっち行ったら幸せになれるって分かっているのに、わざわざ不幸な方に歩いて行く人なんて見たことがない。
そんなに、沢山やることがあるわけじゃない。
ただ、こうやって聞いたときに、カチッ(拍子木を叩く)、それだけで居れるか?それとも、いろんなことをやって本当のことが分かる様に思ってるか?だけじゃん。。
他の人が聞いたことのない音を聞くんだよね、カチッ(拍子木を叩く)。
いいですか?絶対、他の人が聞いたことがない音を聞くんだ、カチッ(拍子木を叩く)。
私だけが、私以外には絶対、聞くことができない音を、カチッ(拍子木を叩く)、聞いてる 皆。
こんな世界で生きてるじゃん。
だから、いくらでも楽しめるでしょう?同じものにふれて。